薬にまつわるエトセトラ 公開日:2018.09.06更新日:2023.03.03 薬にまつわるエトセトラ

学べば学ぶほど、奥が深い薬の世界。もと製薬企業研究員のサイエンスライター・佐藤健太郎氏が、そんな「薬」についてのあらゆる雑学を綴るコラムです。薬のトリビアなどを伝えられると、患者さんとの距離も近くなるかもしれませんね。

第47回 エーザイ、イーライリリー、ファイザー……アルツハイマー症新薬開発のゆくえ

 

現代社会が最も必要としている新薬は何かと問われたら、真っ先に挙がるのはアルツハイマー症をはじめとした認知症の治療薬でしょう。認知症の患者は、2015年には世界で4680万人と推測されていますが、この数は2030年には7470万人、2050年には1億3150万人に達すると予測されています。35年間で、3倍近くにも患者数が膨れ上がる計算になります。

現在のところ、抗認知症薬としては、アリセプト(エーザイ)を始めとして4点が国内で認可を受けています。しかしこれらはいずれも病状の進行を遅らせるのみであり、根治には程遠いのはご存知の通りです。

そこで、真の治療薬が切実に求められていますが、医薬の力で失われた脳細胞の機能を取り戻すことは、どうしても難しいと考えられます。そこで、なんとか病状の悪化を止める医薬の開発を目指し、世界の製薬企業はしのぎを削ってきました。しかし、治療薬開発に向けて膨大な資金と人員が投入されているにもかかわらず、残念ながらこれまではかばかしい成果は得られていません。

多くの製薬企業は、アミロイドβ仮説に基づいて新薬開発を進めています。アミロイドβは40残基前後の短いタンパク質で、これが脳内に蓄積して老人斑を形成し、神経細胞の機能障害を誘発していると考えられています。そこで、タンパク質からアミロイドβを切り出す酵素であるセクレターゼを阻害する手法や、アミロイドβに結合する抗体を投与して老人斑を除去する手法などが試されてきました。

しかし、これらの臨床試験結果は、死屍累々というべき状況です。
たとえば、イーライリリー社は、これまで25年以上アルツハイマー症治療薬の研究に取り組み、30億ドル以上の資金を投じてきました。しかし昨年、同社は第Ⅲ相試験まで進んでいたソラネズマブの承認申請を断念すると発表し、関わってきた研究者を解雇しています。
最近になって、メルクやジョンソン&ジョンソンも有力視されてきた候補化合物の臨床試験を打ち切り、ファイザーは今年5月にアルツハイマー治療薬開発そのものからの撤退を発表しました。世界最大級の製薬企業が次々にギブアップ宣言を出すというのは、やはり衝撃的ではあります。

こうしたことから、アミロイドβ仮説自体を疑う声も強まっています。アミロイドβが蓄積しているのは、アルツハイマー症の原因ではなく結果なのではないのか、認知機能が失われる原因は別にあるのではないか――というものです。

こうした状況の中、エーザイは米バイオジェン社と共同開発している「BAN2401」の臨床試験結果を公表しました。BAN2401は、アミロイドβが凝集してできた「プロトフィブリル」を抗原として作られた抗体です。このプロトフィブリルは神経細胞に対する毒性が強いため、ここを狙うのは理にかなってはいるのですが、こうした抗体医薬はこれまでことごとく臨床試験に失敗しています。

しかし、BAN2401はこれらと異なり、効果ありとの結果が出ました。第Ⅱ相臨床試験において、BAN2401を投与された患者は用量依存的に症状が改善され、最高用量である10mg/kgを18ヶ月投与された群では、プラセボ投与群に対して症状の進行が30%抑制されていたとのことです。

7月6日にこの速報が発表されると、失敗続きのアルツハイマー症治療薬における久々の朗報ということで、エーザイの株価は一挙に高騰しました。7月26日に開かれた説明会で、エーザイはかなり強気の見方を示し、「追加試験は必要」としながらも、このデータをもとに早期承認を視野に入れているとしました。ただし、第Ⅱ相臨床試験までは好結果を収めながら、第Ⅲ相で期待を裏切った候補化合物はこれまでにもありましたから、そうそう糠喜びもできない段階かと思います。

専門家の見解も、さまざま分かれているようです。BAN2401が、脳内のアミロイドβを減少させていることは確かです。また、こうした変化が定量的に示せるようになったのは、大きな進歩です。ただし、12カ月の投与では有意差がなく、18カ月間の最高用量でようやく効果が見られた程度であるため、「有望ではあるが決定的ではない」という報道もなされています。一般の投資家にも、「効能は期待するほどではなかった」との見方が広がり、株価は説明会の後に再び下落しています。

もしBAN2401が承認を受けた場合、薬価の問題も考えなくてはなりません。この薬は抗体医薬ですから、今までの例を見てもかなりの高薬価が予想されます。
先にも述べた通り、認知症の患者数は膨大であり、しかも投与期間が10年、20年に及ぶことも考えられます。完治が望めるわけではない薬にどこまでの薬剤費を支出できるか、現代最難関の医薬をめぐる悩みは尽きそうにありません。

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佐藤 健太郎(さとう けんたろう)

1970年生まれ。1995年に東京工業大学大学院(修士)を卒業後、国内製薬企業にて創薬研究に従事。2008年よりサイエンスライターに転身。2009年より12年まで、東京大学理学系研究科化学専攻にて、広報担当特任助教を務める。著書に「医薬品クライシス」「創薬科学入門」など。2010年科学ジャーナリスト賞、2011年化学コミュニケーション賞(個人)。

『世界史を変えた薬』(講談社現代新書)が発売中。

ブログ:有機化学美術館・分館

佐藤 健太郎(さとう けんたろう)

1970年生まれ。1995年に東京工業大学大学院(修士)を卒業後、国内製薬企業にて創薬研究に従事。2008年よりサイエンスライターに転身。2009年より12年まで、東京大学理学系研究科化学専攻にて、広報担当特任助教を務める。著書に「医薬品クライシス」「創薬科学入門」など。2010年科学ジャーナリスト賞、2011年化学コミュニケーション賞(個人)。

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