薬にまつわるエトセトラ 公開日:2016.04.01更新日:2023.03.03 薬にまつわるエトセトラ

学べば学ぶほど、奥が深い薬の世界。もと製薬企業研究員のサイエンスライター・佐藤健太郎氏が、そんな「薬」についてのあらゆる雑学を綴るコラムです。薬のトリビアなどを伝えられると、患者さんとの距離も近くなるかもしれませんね。

製薬企業で活躍する薬剤師

薬価の問題がニュースに上ることが増えてきました。近年、薬価が高騰を続けており、これをどう抑えるかが大きな問題となっているからです。これは日本だけでなく世界各国が頭を悩ませており、米大統領選挙でも重要な争点となっています。

たとえば米国では、ある投資家が寄生虫治療薬ダラプリムの権利を買収し、一挙に50倍以上に値上げするという暴挙に出て、全米の非難を浴びました。米国では企業が自由に医薬の価格を設定できますので、こうしたことが起こりえます。

日本では、厚生労働省が薬価を取り決めるため、このような身勝手な値上げはできません。しかしそれでも、近年は非常に高価な薬が増えています。昨年発売されたC型肝炎治療薬「ソバルディ」及び「ハーボニー」は、経口投与のみでC型肝炎患者の95%以上からウイルスを消失させるという、画期的な薬剤です。しかしこの薬には、1錠が6万円以上という途方もない薬価がつけられました。

製造元は今まで根治法のなかった病気が、12週ほどの投与でほぼ完治すること、C型肝炎は肝臓がんへと進むリスクが高いことを考えれば、この薬価は妥当だと主張しています。一理あるとは思いますが、やはりいくら何でも高過ぎるとも思えます。

結局、2016年度の薬価改定においては、「特例拡大市場再算定」という制度が導入されることとなりました。要するに、年間売上が1000億円を超えるようなベストセラー薬は、最大50%も薬価を引き下げるという仕組みで、ソバルディとハーボニーもこの対象となる見込みです。

しかしこの制度は、製薬企業からしてみれば「素晴らしい薬を作ったらペナルティを受ける」ようなシステムです。このため、企業のイノベーションへの意欲をそぐ、海外メーカーの新薬が日本に入ってこなくなるなどと批判も多くなされていますが、深刻な薬価高騰を抑えるため、そうも言っていられない状況ということでしょう。

分子標的薬と呼ばれる抗がん剤では、これらよりはるかに高額なものが登場しています。2014年に登場したALK陽性型肺がん治療薬アレセンサでは、1日あたりの薬価が24,658円、年間では1000万円近くに達します。さらに昨年認可された、非小細胞肺がん治療薬オプジーボでは、体重60kgの人の場合で1日あたりの薬価が約133万円、年間では約3460万円というとてつもない額に上ります。

なぜこうも高額の医薬が出てくるのか?
薬価の算定は、それまでに類似薬のないものに対しては、製造原価をもとに算定がなされます。すでに類似の医薬がある場合は、その薬価がひとつの基準となります。ここに、新規性や有用性の高いもの、希少疾病用医薬品(いわゆるオーファンドラッグ)に対しては補正加算がつきます。多くの分子標的薬はこれらに該当するので、その分薬価が上がります。

また、製薬企業も儲けが出ない薬を発売するわけにはいきませんので、市場規模も薬価算定に大きく影響します。市場が小さい、すなわち患者数の少ない薬は、その分薬価は高くなります。

分子標的薬は、特定の遺伝子が変異しているものなど、限られたタイプのがんにのみ有効というケースが多いのです。当然、該当する患者は少ないので臨床試験は長引きがちになり、その分独占販売可能な期間は短くなります(第7回「ジェネリック医薬品をめぐる虚々実々」参照)。短期間のうちに少数の患者から、臨床試験にかかったコストを回収しなくてはならないので、薬価は高くなってしまうのです。

もちろん健康保険や高額医療費制度などによるサポートはありますが、ここまで巨額の薬だと患者の負担もかなりの額になります。そして巨額の薬剤費のほとんどは、国庫にのしかかってきます。この点について、医師の里見清一氏は、「新潮45」2015年11月号にて、以下のような非常に重要な警告を発しています。

オプジーボという薬は薬価もさることながら、他の抗がん剤と違って有効か無効なのか判別がしにくいタイプの薬剤です。つまり、多くの肺がん患者は、亡くなるまでこの薬の投与を受け続けることになる可能性が高いのです。

もし日本の肺がん患者10万人の半分が、1年間オプジーボでの治療を受けることになった場合、その薬剤費総額は約1兆7000億円にも達します。日本の薬剤費総額は8兆8800億円(2014年度)に達していますが、ここにオプジーボ一剤だけで2兆円近くがプラスされてしまうわけです。こうなると、大げさでなく日本の医療自体が崩壊しかねない、というのが里見氏の指摘です。

里見氏はこの件について、小手先の薬価改定などで解決する問題ではないとし、「75歳以上の患者には一切の延命措置を禁止する」とまで踏み込んだ提案をしています。それだけ聞くと無茶なようですが、全体を読むとその論旨には説得力があります。薬価高騰は目には見えにくいのですが、医薬の今後を考える上で避けては通れない問題です。

佐藤 健太郎(さとう けんたろう)

1970年生まれ。1995年に東京工業大学大学院(修士)を卒業後、国内製薬企業にて創薬研究に従事。2008年よりサイエンスライターに転身。2009年より12年まで、東京大学理学系研究科化学専攻にて、広報担当特任助教を務める。著書に「医薬品クライシス」「創薬科学入門」など。2010年科学ジャーナリスト賞、2011年化学コミュニケーション賞(個人)。
『世界史を変えた薬』(講談社現代新書)が発売中。

ブログ:有機化学美術館・分館

佐藤 健太郎(さとう けんたろう)

1970年生まれ。1995年に東京工業大学大学院(修士)を卒業後、国内製薬企業にて創薬研究に従事。2008年よりサイエンスライターに転身。2009年より12年まで、東京大学理学系研究科化学専攻にて、広報担当特任助教を務める。著書に「医薬品クライシス」「創薬科学入門」など。2010年科学ジャーナリスト賞、2011年化学コミュニケーション賞(個人)。
『世界史を変えた薬』(講談社現代新書)が発売中。

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