映画・ドラマ

映画・ドラマ

「たまには仕事に関連する映画を見てみようかな」と感じたことはありませんか? 医療や病気に関する映画・ドラマ作品は数多くありますが、いざとなるとどんな作品を見ればいいのか、迷ってしまう人もいるのでは。このコラムでは北品川藤クリニック院長・石原藤樹先生と看護師ライターの坂口千絵さんが、「医療者」としての目線で映画・ドラマをご紹介します。

vol.31「潜水服は蝶の夢を見る」(2007年・フランス・アメリカ)

ぼくは生きている。話せず、身体は動かないが、確実に生きている――。
「ELLE」誌の編集長として、3人の子どもの父親として、幸せで華やかな人生を送っていたジャン=ドミニク。ところがある日突然、脳梗塞で倒れ、身体的自由を奪われる「ロックド・イン・シンドローム(閉じ込め症候群)」に。唯一動くのは、左目だけ。言語療法士がまばたきでコミュニケーションをとる方法を考え、ジャン=ドミニクは自伝を綴り始める。逆境を乗り越え、未来への希望をつないだ男の感動の実話!

―閉じ込め症候群の男性がまばたきだけで綴った過酷で感動的な生の記録―

 

今日ご紹介するのは、脳卒中で身体の自由をほぼ完全に失った男性が、自分のまばたきだけで見事な自伝を書き上げたという実話を、繊細かつ芸術的に描いた2007年のフランス・アメリカ合作映画『潜水服は蝶の夢を見る』です。「生きる」ということの意味を、深く考えさせられる素晴らしい映画で、人生でさまざまな経験を重ねるほど、その真価を感じられる希有な作品です。

 

フランスの有名なファッション誌『ELLE』のやり手編集者で、プレイボーイでもあったジャン=ドミニク・ボビーは、突然発症した脳幹部の脳卒中により、左目のまばたき以外の全ての運動機能を失ってしまいます。発作から20日後に覚醒しますが、意識は清明で知性も保たれているのに、自分の意思を全く表現することができない「閉じ込め症候群(locked-in syndromeロックド・イン・シンドローム)」という状態になっている自分に気付くのです。

 

絶望したボビーですが、言語療法士や理学療法士などの献身的な治療と援助により、唯一可能な左目の動きだけで、自分の意思を相手に伝える方法を身に着け、まばたきを編集者が一語ずつ文字に起こすという、気の遠くなるような作業を経て、『潜水服は蝶の夢を見る』という自伝を完成し、刊行することになるのです。

 

この奇跡的な実話は、本が刊行された1997年にフランスでドキュメンタリー番組として放映され、大きな話題となりました。その内容をより膨らませ、過去と現在、妄想と記憶とが交錯する、繊細な人間ドラマとして完成されたのが、今回ご紹介する映画版です。

 

主人公のボビーを演じたのは、フランスを代表する演技派男優のマチュー・アマルリックで、身体のほとんどの部分が動かないという難役を、元気な時の姿と対比させながら、鮮やかに演じています。DVDの特典などとしてソフト化されているドキュメンタリーの映像をご覧になると、そっくりな役作りに驚かれるでしょう。単に外見を似せているというだけではなく、見開かれた左目と顔の一部だけを使った感情表現も、非常に素晴らしく見応えがあります。

 

新表現主義の画家でもあるアメリカの映画監督、ジュリアン・シュナーベルによる演出も、随所に工夫が凝らされています。オープニングは覚醒したボビーの視点で、まばたきの闇さえもリアルに表現され、そこから少しずつ客観的な描写を並立させる編集の妙が際立っています。

 

原作の伝記の繊細で感受性豊かな表現を、そのまま映像に写し取ったような手法が面白く、複数の質感の映像を織り交ぜ、主人公の心を丸ごと可視化したような表現も成功していると思います。記憶の迷宮をさまよい、幻想と現実とが入り交じる雰囲気や、性的な妄想や女性を母として崇拝するような部分は、イタリアの名監督フェリーニの世界を彷彿とさせます。特に複数の女性が主人公を取り巻くように登場したり、離婚した妻が世話をしてくれているのに、愛人からの電話に涙したりするような、男の業のような心理描写は、名作『8 1/2』の影響が感じられます。抑制的かつ叙情的な音効も心に染みました。

 

「脳卒中後の閉じ込め症候群」という、かなり極端でまれなケースを扱ってはいますが、テーマはもっと大きなものです。そのとらえ方は観る人によってさまざまでしょう。人生は永遠ではなく、特に肉体が自分の自由になる時間は決して長くはありません。「肉体の自由を失った時に、人間としての尊厳を失わずに生き続けるためにはどうすれば良いのか」という深い問いかけを、私は感じました。

 

生きている瞬間そのものの美しさと尊さ。そして、人間として生きるためには、生きる意味を自分で見つけなくてはいけないということを、この映画は沈黙の中で雄弁に語っているように思います。私たち医療者は、病気の障害を見る機会が多いために、そのことをかえって見失ってしまうことがあるのかもしれません。薬剤師の皆さんも、障害を持った患者さんと接することがあると思いますが、この映画を鑑賞したあとは、少し違う気持ちで患者さんと向き合えるのではないでしょうか。

 

最初から虜になる人がいる一方で、初見はひょっとしたら退屈される人もいるかもしれません。主人公のやや自分本位な性格や行動には、反発を覚える部分もあるでしょう。しかし、ひとつ人生の階段を上り、これまで経験のない喜びや悲しみを感じた時に、もう一度ご覧になると、また感想が変わると思います。そうした何度もの鑑賞に堪える、希少な映画です。それはまさに、ちっぽけで愚かで、それでいて美しくかけがえのないひとつの人生そのものが、ここに鮮やかに写し取られているからに他なりません。

 

 

石原 藤樹(いしはら ふじき)

1963年東京都渋谷区生まれ。信州大学医学部医学科大学院卒業。医学博士。信州大学医学部老年内科助手を経て、心療内科、小児科を研修後、1998年より六号通り診療所所長。2015年より北品川藤クリニック院長。診療の傍ら、医療系ブログ「石原藤樹のブログ」をほぼ毎日更新。医療相談にも幅広く対応している。大学時代は映画と演劇漬け。

北品川藤クリニック:http://www.fuji-cl.jp/

ブログ:http://rokushin.blog.so-net.ne.jp/

石原 藤樹(いしはら ふじき)

1963年東京都渋谷区生まれ。信州大学医学部医学科大学院卒業。医学博士。信州大学医学部老年内科助手を経て、心療内科、小児科を研修後、1998年より六号通り診療所所長。2015年より北品川藤クリニック院長。診療の傍ら、医療系ブログ「石原藤樹のブログ」をほぼ毎日更新。医療相談にも幅広く対応している。大学時代は映画と演劇漬け。

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