薬にまつわるエトセトラ 公開日:2015.01.09更新日:2023.02.28 薬にまつわるエトセトラ

学べば学ぶほど、奥が深い薬の世界。もと製薬企業研究員のサイエンスライター・佐藤健太郎氏が、そんな「薬」についてのあらゆる雑学を綴るコラムです。薬のトリビアなどを伝えられると、患者さんとの距離も近くなるかもしれませんね。

毛の生える薬の話

「セレンディピティ」という言葉をご存知でしょうか? イギリスの小説家ウォルポールが作ったと伝えられる言葉で、本来探していたものとは別の、価値あるものを見つける能力のことをいいます。もともとは、行く先で次々に偶然にいろいろなものを発見する王子たちを描いた、「セレンディップの3人の王子」という童話から来た言葉です。

この言葉のミソは、単にまぐれの幸運を指すのではなく、「幸運をつかみとる能力」を意味している点です。たまたまラッキーを拾い当てるのではなく、さまざまな努力を積み重ねた上、偶然の機会を見逃さず、しっかりとものにするという意味合いが含まれているのです。

科学の研究においてもセレンディピティは不可欠であり、X線やポリエチレンなど、多くの重要な発見が偶然から生まれています。医薬品においてもこうしたケースは多く、抗生物質ペニシリンや、前回取り上げたリチウム(双極性障害治療薬)などはその代表的な例です。

実のところ、画期的な医薬のほとんどは、何らか偶然の要素なくして生まれなかったといってもよいでしょう。理詰めのみで思い通りの医薬が創り出せるほど、生命の仕組みは単純ではないのです。

最近日本でも発売されて話題を集めた、睫毛貧毛症治療薬グラッシュビスタも、偶然にその効能が発見された医薬です。これはもともと緑内障の薬として開発されたもので、目の水分を流し出して眼圧を下げ、症状を改善するというものでした。ところが、この薬を使っていた患者は、なぜかまつ毛が濃くなることが確認されたのです。そこで「副作用」を逆手に取って主作用とし、睫毛貧毛症の治療薬として発売しようということになったわけです。

目に異常のない人がグラッシュビスタを使った時、悪影響はないのか気になるところですが、目に入らないように、点眼薬でなく薬液を塗布する形で使われることになっています。どういうメカニズムでまつ毛が伸びるのか不思議になりますが、どうも今のところ完全にはわかっていないようです。

まあ筆者のような中年男性にとっては、まつ毛が伸びてもさほどありがたくはないところで、「頭に塗れば髪が生えたりはしないのか?」という点が気にかかります。もし頭髪に効果があるなら、市場はまつ毛と比較にならないほど大きいでしょうから、当然何らか試験はしていることでしょう。ただ、グラッシュビスタは生きた毛包に働きかけて、毛を太く長くさせる薬ですから、発毛できなくなった毛包を復活させることは難しいのかもしれません。

現在発売されている頭髪用の脱毛症治療としては、プロペシアがあります。これも、前立腺肥大などの治療薬として試験を行っていた時に、偶然に頭髪の成長が確認されたという経緯で発見されました。髪の成長を妨げる、ジヒドロテストステロンの生成を抑えるためと見られています。前立腺の薬が髪の毛に作用するとは、なかなか想像もできないところで、これこそセレンディピティの好例というべきでしょう。

日本で認可されている脱毛症治療薬としては、リアップがあります。実はこれももともとは、降圧剤を目指して開発が行われていた薬です。しかしその過程で頭髪が生えてくるという作用が見つかったため、こちらに狙いを切り替えて成功したものです。そしてこの薬もまた、なぜ発毛作用があるのか、いまだ完全に解明されていません。

筆者も会社の研究員時代に、自社から発売されているある薬に、発毛作用があるらしいという話を聞いたことがあります。免疫系に作用する薬であり、髪の毛とは縁もゆかりもなさそうに思えるのですが、確かに発毛作用が認められるというから、人間の体とは何とも不思議なものです。ただし、副作用の懸念などから、この薬が発毛剤として開発されることはありませんでした。

しかしこの話、なぜか社外の人の知るところとなり、臨床試験は行われないのか、あるならぜひ参加したいという問い合わせが、かなりの数あったといいます。薬によっては、臨床試験の参加者を募るのになかなか苦労するのですが、発毛剤に関しては参加者の方から自発的に集まってきてくれるもののようです。しかし、こういう情報をいったいどこから聞きつけてやってくるのか、筆者にとってこれは、人体の神秘に負けず劣らずの不思議であったりします。

佐藤 健太郎(さとう けんたろう)

1970年生まれ。1995年に東京工業大学大学院(修士)を卒業後、国内製薬企業にて創薬研究に従事。2008年よりサイエンスライターに転身。2009年より12年まで、東京大学理学系研究科化学専攻にて、広報担当特任助教を務める。著書に「医薬品クライシス」「創薬科学入門」など。2010年科学ジャーナリスト賞、2011年化学コミュニケーション賞(個人)。

ブログ:有機化学美術館・分館

佐藤 健太郎(さとう けんたろう)

1970年生まれ。1995年に東京工業大学大学院(修士)を卒業後、国内製薬企業にて創薬研究に従事。2008年よりサイエンスライターに転身。2009年より12年まで、東京大学理学系研究科化学専攻にて、広報担当特任助教を務める。著書に「医薬品クライシス」「創薬科学入門」など。2010年科学ジャーナリスト賞、2011年化学コミュニケーション賞(個人)。

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