薬にまつわるエトセトラ 薬にまつわるエトセトラ

学べば学ぶほど、奥が深い薬の世界。もと製薬企業研究員のサイエンスライター・佐藤健太郎氏が、そんな「薬」についてのあらゆる雑学を綴るコラムです。薬のトリビアなどを伝えられると、患者さんとの距離も近くなるかもしれませんね。

第26回「『転職』する医薬~ドラッグリポジショニングということ」

かつて世間を騒がせた「製薬業界の2010年問題」という言葉を覚えておられるでしょうか。新薬がなかなか出なくなり、既存の大型商品の特許が次々と切れて、製薬偉業の収益が悪化すると懸念されたことを指します。あれからもう7年が経とうかとしていると思うと、時の流れは速いものだと思います。

2010年代に入って、ずいぶんと製薬業界の様子は変わりました。化学合成による医薬創出の難しさは相変わらずで、かつてのスタチン剤のような大型製品はなかなか登場しません。代わって、バイオテクノロジーを主体として創り出す「バイオ医薬」が売り上げランキングの上位を占めるようになり、中でも分子標的治療薬と呼ばれる新たなタイプの抗がん剤の開発は、一大トレンドとなっています。

ただし、抗体医薬をはじめとしたバイオ医薬は、製造や開発に大きな設備投資を必要とするため、薬価が極めて高くなります。これらを中心として薬価は全体に上昇を続け、世界的な問題となっています。中でも肺がん治療薬オプジーボは、1年間で約3500万円にも達する薬価が大きな問題となり、異例の大幅切り下げが断行されてニュースともなりました。

こうした状況に対する一つの策として、「ドラッグリポジショニング」と呼ばれる手法が注目を集めつつあります。直訳すれば「医薬再配置」という意味ですが、要するに既存の医薬を配置転換し、別の疾患の治療薬として活用しようというものです。

この連載でも何度か取り上げたように、本来目指していた疾患とは別の効能が偶然に発見され、実用化された薬はたくさんあります。当初は狭心症治療薬として開発されていたバイアグラや、眠くなるという抗アレルギー薬の副作用を逆手に取り、睡眠改善薬として発売されたドリエルなどがその代表的な例です。

こうした別用途開発を、偶然ではなく理論的な裏付けのもと、積極的に行なっていこうとするのが、ドラッグリポジショニングです。これまでも、胃がんの治療薬を肺がんに、あるいは胃潰瘍治療薬を胃炎治療薬にといったような、比較的近い分野への「適応拡大」は数多く行なわれてきました。しかしドラッグリポジショニングは、既存の薬(あるいは医薬候補化合物)の再解析に基づき、すぐには思いつかないような分野への適用を図る点で、いわゆる適応拡大とは趣を異にします。

ドラッグリポジショニングの成功例としては、サリドマイドが挙げられます。1957年に睡眠薬として発売されたものの、妊婦が服用した場合に手足が短い子供が生まれてしまうという重大な副作用があることが判明し、発売中止となったことで大変に有名です。

この歴史的薬害事件を引き起こした薬は、2005年に多発性骨髄腫治療薬として再承認を受け、臨床の現場に復活しました。サリドマイドの副作用は、血管新生阻害作用によることがわかっています。胎児の生育過程で必要な血管の生成が妨げられることで、手足が成長できなくなってしまうのです。

一方、がん細胞も増殖のために栄養を必要とするため、新たに血管を作って養分を引き入れようとします。この作用をサリドマイドによって妨げることで、がん細胞の増殖が食い止められるというものです。このようにドラッグリポジショニングには、副作用を逆手に取って他の病気の治療に役立てるケースが多くあります。

ドラッグリポジショニングのメリットはいろいろとありますが、何と言っても速く、安く有効な薬を送り出せることです。すでに一度臨床試験をくぐり抜け、安全性や体内動態に問題がないことが確立している化合物ですので、新たな試験は短期間、低コストで済ませることができます。つまりドラッグリポジショニングは、新薬不足や薬価高騰といった冒頭で挙げた問題の解決に、大きく貢献する可能性があるわけです。

近年の遺伝子技術、ビッグデータ解析の進展などによって、タンパク質と疾患の関連が整理されつつあることも、ドラッグリポジショニングの追い風になっているといわれます。ですが、臨床の現場で実際に患者に投与した際にどんな現象が起きるかという生の情報こそが、何よりも頼りになることは間違いないでしょう。現場の第一線に立つ薬剤師のみなさんと、製薬企業とを結ぶネットワークの充実が、今後重要になってくるのではと思う次第です。

参考:「創薬が危ない 早く・安く・安全な薬を届けるドラッグリポジショニングのすすめ」 水島徹著 講談社

佐藤 健太郎(さとう けんたろう)

1970年生まれ。1995年に東京工業大学大学院(修士)を卒業後、国内製薬企業にて創薬研究に従事。2008年よりサイエンスライターに転身。2009年より12年まで、東京大学理学系研究科化学専攻にて、広報担当特任助教を務める。著書に「医薬品クライシス」「創薬科学入門」など。2010年科学ジャーナリスト賞、2011年化学コミュニケーション賞(個人)。

『世界史を変えた薬』(講談社現代新書)が発売中。

ブログ:有機化学美術館・分館

佐藤 健太郎(さとう けんたろう)

1970年生まれ。1995年に東京工業大学大学院(修士)を卒業後、国内製薬企業にて創薬研究に従事。2008年よりサイエンスライターに転身。2009年より12年まで、東京大学理学系研究科化学専攻にて、広報担当特任助教を務める。著書に「医薬品クライシス」「創薬科学入門」など。2010年科学ジャーナリスト賞、2011年化学コミュニケーション賞(個人)。

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