薬にまつわるエトセトラ 薬にまつわるエトセトラ

学べば学ぶほど、奥が深い薬の世界。もと製薬企業研究員のサイエンスライター・佐藤健太郎氏が、そんな「薬」についてのあらゆる雑学を綴るコラムです。薬のトリビアなどを伝えられると、患者さんとの距離も近くなるかもしれませんね。

抗ウイルス薬の開発はなぜ難しいか

「ジカ熱」という感染症が、世界を揺るがしています。この病気は、蚊に刺されることによって伝染するウイルス性疾患で、発症しても症状自体はさして重いものではありません。ただ、妊婦が感染すると、胎児の脳が十分に発達しない「小頭症」になる可能性があるとして、大きな問題になっているのです。

今のところ流行は中南米中心ですが、すでに日本人の患者も5例確認されています。ただしこれらはいずれも海外渡航先でかかったものと見られ、国内での感染はまだ起きていません。とはいえ、ジカウイルスを媒介するヒトスジシマカは日本にも生息していますし、今夏のリオデジャネイロ五輪のために南米へ渡航する人も増えるでしょうから、日本への侵入は大いに懸念されるところです。

これで思い出されるのは、2014年夏に流行したデング熱でしょう。東京の代々木公園などで蚊に刺された人が感染し、160名もの患者を出して大きな騒動となりました。幸い、デング熱ウイルスを媒介する蚊は越冬しないため、流行は一夏限りで収束しましたが、こうしたことは今後も起こりうると考えられます。

その他、21世紀に入ってからだけでも、2002年の重症急性呼吸器症候群(SARS)、2009年のH1N1型インフルエンザ、2012年から流行している中東呼吸器症候群(MERS)、2014年からアウトブレイクしたエボラ出血熱などなど、多くの新興・再興感染症が人類を襲っています。

無論、我々の脅威となるのはこれら新しい感染症ばかりではありません。2016年4月21日に急死した歌手のプリンスはインフルエンザに感染していたといいますし、熊本地震の被災地でノロウイルスの集団感染が起きたとの報道もあります。後天性免疫不全症候群ことエイズも、日本では未だ患者が増え続けており、変わらぬ脅威となっています。

お気づきの通り、上に挙げた数々の疾患は、全てウイルスによる感染症です。現代における厄介な感染症は、ほとんどウイルスによるものといっても過言ではありません。これは細菌の場合と異なり、抗ウイルス薬の開発が難しいことが要因の一つとなっています。

なぜ抗ウイルス薬の開発は難しいのか? 一つは、ウイルスはとても単純な構造なので、医薬の標的となる「弱点」が少ないためです。ウイルスはタンパク質の殻(カプシド)に遺伝子が入っているだけの構造であり、増殖は宿主細胞のシステムを乗っ取ることで行なわれます。このため、人体に影響を与えず、ウイルスだけを叩く薬は創りにくいのです。

また、ウイルスは形状もサイズも大きく異なるなど極めて多様です。遺伝子もDNAのものやRNAのもの、1本鎖のものや2本鎖のもの、環状になったものや直鎖状のものなど様々なタイプがあります。このため、一剤で多くのウイルスに効く薬剤の開発は難しく、どうしても個別のウイルスに対する医薬にならざるを得ません。

また、ウイルスには培養不可能であるなど、実験的取り扱いが難しいものが少なくありません。たとえばノロウイルスの人工的培養や実験動物への感染は未だなされておらず、このことが治療薬やワクチン開発の足を大きく引っ張っています。

さらに厄介なことに、ウイルスは変異が発生しやすく、今まで有効であった薬に対しても、すぐに耐性ウイルスが登場してきます。たとえば、古典的インフルエンザ治療薬であるアマンタジンに対しては、すでに多くのインフルエンザウイルスに対して効果を失っており、米国疾病予防管理センター(CDC)はこの薬を使わぬよう勧告を出しています。苦労して新しい抗ウイルス薬を作ってもすぐに無効になってしまう可能性があるので、製薬会社からすれば手を出しにくい薬なのです。

とはいえ、前回も取り上げたC型肝炎治療薬ソバルディのように、極めて効果の高い医薬も登場しています。これはRNAの構成単位であるリボ核酸を真似て作られた分子であり、C型肝炎ウイルスの遺伝子複製を妨害することで効果を表します。さらにこれを体内に吸収されやすい形にして送り込む「プロドラッグ」という技術で、高い効能を実現しました。

また、インフルエンザ治療薬として開発されたファビピラビル(商品名アビガン)が、エボラ出血熱にも有効であるという話もありました。これもRNAポリメラーゼを阻害する化合物であり、同じメカニズムを持つウイルスにも有効である可能性があります。

抗体医薬を用いる、新しいタイプの抗ウイルス薬も研究されています。たとえば広範囲の株のHIVに対して効果を発揮する抗体を量産し、治療に用いるアプローチが効果を発揮したとの報告があります。これら新技術が、「人類最後の敵」であるウイルス感染症撲滅に、力を発揮することを大いに期待したいところです。

佐藤 健太郎(さとう けんたろう)

1970年生まれ。1995年に東京工業大学大学院(修士)を卒業後、国内製薬企業にて創薬研究に従事。2008年よりサイエンスライターに転身。2009年より12年まで、東京大学理学系研究科化学専攻にて、広報担当特任助教を務める。著書に「医薬品クライシス」「創薬科学入門」など。2010年科学ジャーナリスト賞、2011年化学コミュニケーション賞(個人)。
『世界史を変えた薬』(講談社現代新書)が発売中。

ブログ:有機化学美術館・分館

佐藤 健太郎(さとう けんたろう)

1970年生まれ。1995年に東京工業大学大学院(修士)を卒業後、国内製薬企業にて創薬研究に従事。2008年よりサイエンスライターに転身。2009年より12年まで、東京大学理学系研究科化学専攻にて、広報担当特任助教を務める。著書に「医薬品クライシス」「創薬科学入門」など。2010年科学ジャーナリスト賞、2011年化学コミュニケーション賞(個人)。
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