薬にまつわるエトセトラ 薬にまつわるエトセトラ

学べば学ぶほど、奥が深い薬の世界。もと製薬企業研究員のサイエンスライター・佐藤健太郎氏が、そんな「薬」についてのあらゆる雑学を綴るコラムです。薬のトリビアなどを伝えられると、患者さんとの距離も近くなるかもしれませんね。

医薬品開発に27年ぶりのノーベル賞

皆さんご存知の通り、2015年のノーベル生理学・医学賞は、大村智、W. キャンベル、屠呦呦の3博士に授与されることになりました。大村・キャンベル両博士は抗寄生虫薬イベルメクチンの開発、また屠博士はマラリア治療薬アーテミシニンの発見が評価されての受賞でした。

医薬品の開発に対して直接ノーベル賞が与えられたケースは、1988年にJ. W. ブラック(H2ブロッカーの開発)、G. B. エリオンとG. H. ヒッチングス(抗ウイルス剤などの開発)に与えられて以来27年ぶりでした。その前となると、1957年のD. ボベット(抗ヒスタミン剤の開発)まで遡らなければなりません。この半世紀でわずか2回だけですから、医薬品開発に対するノーベル賞の貴重さがわかります。

創薬手法の歴史をたどってみると、まず動植物の作る化合物や、鉱物資源を探索する時代が長く続きました。20世紀に入って細菌学の手法が発達すると、微生物の産物を探す手法が行われ、各種抗生物質の発見など大きな成果を上げます。やがて、有機合成の手法によってフラスコ内で作った化合物から、医薬を探索する方法が主流を占めるようになり、つい最近までこれが創薬のメインストリームとなっていました。

しかし近年になり、遺伝子工学の技術を駆使して作る、いわゆるバイオ医薬の研究が急速に進展しています。中でも抗体医薬は現在がんやリウマチなどの治療を大きく変えつつあり、医薬品売上ランキングの上位をほぼ独占している――とは、前回も述べた通りです。

筆者は医薬分野に対してノーベル賞が与えられるとしたら、エイズ治療薬か、でなければ抗体医薬の分野であろうと考えていました。前者の人類に対する貢献はいうまでもないでしょうが、創薬研究のパラダイムを塗り替えた抗体医薬の開発は、それに劣らぬ重要性を持つと思います。

しかしノーベル賞委員会は、最先端のテクノロジーを駆使した抗体医薬でなく、前述の3氏を顕彰することを選びました。共通するのは、感染症の治療薬であること、そしていずれも天然物からの創薬である点です。大村・キャンベル両博士のイベルメクチンは、細菌の生産する化合物をもとに作った薬ですし、屠博士のアーテミシニンはヨモギ属の植物クソニンジンの葉から発見されたものです。

こうした天然物の探索は、前述の通り最も古典的な創薬手法といえます。微生物の生産する化合物を探索するのは、1920年代から行われている手法ですし、植物資源の探索に至っては、おそらく人類の歴史が始まる以前から行われていたことでしょう。最新鋭の分野である抗体医薬の方が、学術的価値だけでいうなら高いといえそうです。

しかしノーベル賞の対象は優れた学問的業績を挙げた人ではなく、「人類のために最大たる貢献をした人々に」と規定されています。大村・キャンベル両博士によって生み出されたイベルメクチンは、アフリカを中心に蔓延するオンコセルカ症を駆逐し、3億人を救ったとされます。また屠博士のアーテミシニンは、世界で毎年2億人が感染し、50万人以上を死に追いやるマラリアの治療薬として、大きな成果を挙げています。となれば、ノーベル賞の受賞資格にこれほどふさわしい業績はないといえるでしょう。

またノーベル賞は知名度・注目度とも群を抜き、世界中の科学者が受賞を夢みる賞です。それだけに、その審査方針は科学の進んでいく方向を左右しえますし、審査委員会もそれを熟知していると思えます。

今回のノーベル賞は「医療格差の是正」という、審査委員会の強い意図が反映されているように思います。医薬品メーカーは、儲けにつながりにくい熱帯地域の感染症には手を出したがらず、経済的に豊かな先進国に多い病気である、がんや生活習慣病の治療薬開発に血道を上げています。この状態はゆがんでいるのではないか、その気になれば治療が可能になる病気に、相変わらず多くの人々が苦しんでいる事実にもっと目を向けよ、というメッセージではないでしょうか。

もちろん、だからといって製薬企業が利益につながりにくい薬の開発に、すぐに動き出せるわけではないでしょう。しかし、大村博士が大学で発見した化合物をもとに、企業が製品化に結びつけたイベルメクチンの研究過程は、よいモデルケースになりうると思われます。さまざまなベクトルの力を結集し、第2第3のイベルメクチンが生まれることを大いに期待したいところです。

佐藤 健太郎(さとう けんたろう)

1970年生まれ。1995年に東京工業大学大学院(修士)を卒業後、国内製薬企業にて創薬研究に従事。2008年よりサイエンスライターに転身。2009年より12年まで、東京大学理学系研究科化学専攻にて、広報担当特任助教を務める。著書に「医薬品クライシス」「創薬科学入門」など。2010年科学ジャーナリスト賞、2011年化学コミュニケーション賞(個人)。
『世界史を変えた薬』(講談社現代新書)が発売中。

ブログ:有機化学美術館・分館

佐藤 健太郎(さとう けんたろう)

1970年生まれ。1995年に東京工業大学大学院(修士)を卒業後、国内製薬企業にて創薬研究に従事。2008年よりサイエンスライターに転身。2009年より12年まで、東京大学理学系研究科化学専攻にて、広報担当特任助教を務める。著書に「医薬品クライシス」「創薬科学入門」など。2010年科学ジャーナリスト賞、2011年化学コミュニケーション賞(個人)。
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